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根岸米軍住宅地区、いよいよ11月返還

2015年6月7日
読了時間: 2分

幼少の一時期、横浜は本牧の父方実家に預けられていた事がある。

病没した弟の長い闘病時期、介護専念と弟の姿を見せたくなかった両親の都合によるものだ。

桜木町から市電に乗って本牧三の谷へ。

麦田のトンネルを抜けると(その頃、元町の先の2本ある麦田トンネルの一方は市電専用トンネル)、

本牧のエリアに入り、そこは米軍ハウスに占められ、異国情緒が漂う異空間だった。

本牧の通りはもちろんの事、三の谷の商店街の八百屋まで看板は横文字。

今のマイカルがあるあたりはフェンス越しに青々とした芝生の米軍住宅が広がり、年に何回かある

開放日にはゲートをくぐって米軍ハウス内へ入っていくのが楽しみだった。お祭り・縁日感覚だ。

自分は日本人にしては珍しくリコリス(甘草)味のお菓子が好きなのだけど、

これはこの時期にハウス内のPX(post exchange、酒保=基地内の売店)で売られていた、

アメリカ製品の菓子に慣らされたことによる。

文化って味覚体験もかなり重要な要素だとつくづく思う。

米軍根岸住宅地区が返還予定と聞きましたが、その後あの土地はどうなるのでしょうか?(はまれぽ)

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今日の朝日新聞朝刊に騎士問題の特集が載っていた。

占領下の日本全国に存在した米軍基地の苦い思い出の数々。証言者はもう70歳以上の人が殆どだ。

 (戦後70年)基地の傷痕、私の町も (朝日新聞)

50代の自分の記憶は豊かな隣人アメリカ。

安保闘争や騒音・墜落事故・米兵の不祥事も、もちろん覚えているけれど、

本牧・横須賀・厚木・横田などの基地の記憶は、物資も文化も質量ともに豊かなアメリカが強烈だ。

食品・音楽・文化・遊び場は、大学生になる頃まで存続していた本牧米軍住宅が多くを占め

アメリカを追いかけていた。

左の横浜市現存接収地は残り6つ。少なくなったものだ。

沖縄に次ぐ第2の基地県だった時期が長かった神奈川県で育ち

基地に対する抵抗感が希薄で、そんな事を言うと苦々しく思う人もいると思うけれど。

横浜・根岸米軍住宅が返還されても、元の地主さんたちには

緑が残り、豊かさの象徴のような米軍住宅の雰囲気は残したまま

跡地利用を進めてほしいと思ってしまう。(フェンスは外してほしいけど)

実はアレは自分の故郷的なアイデンティティの一つだろうから。

 
 
 

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